今から6~7年前のことでしょうか、休日に自宅で過ごしていると不意に頭が
ひどく痛くなりました。
30分ほど痛みが続きましたが、その後は何事もなかったかのように落着き
ました。
その翌日、ある患者さんの担当ケアマネージャーさんから連絡が入りました。
その患者さんが昨日、2回目の脳出血で自宅で倒れて救急搬送されたというの
です。
その倒れた時間帯が私がちょうど頭痛になっていた時間帯でした。
あとにも先にもそういう経験はほとんどありませんが、その時に感じたことは
「一見人は個々にばらばらで生きているけれど、見えないところで繋がってい
るんだ」ということです。
それがどういうことなのか説明に窮してしまいますが、そう感じたのです。
人間としてできることは手の届くところ、が基本だと思います。
遠い異国の地で起きていることに手を貸すことはできません。
自ら赴いて援助できる人もいるかもしれませんが、それが複数個所になったと
き、無理が生じてきます。
日常こまごましたことも含め、いろいろ悩むことはありますが、身を削って、
生活を犠牲にして、家族にしわ寄せを受けさせ、そこまでの覚悟をもって事を
成すことができず、葛藤することもありました。
しかし、上記の「どこかで繋がっている」ということに気づいたところから、
自分の身の回りのことをキチンとしていく、まず自分を何とかする、そうする
ことで、離れて暮らす両親であっても、異国で暮らす友人であっても、会った
こともない困っている人たちであっても、なんとかなっていくのではないかと
思うようになったのです。
また、自分の身に起こることに自己責任として向き合えた時、人は頑張ること
ができる、とも考えています。
何かあったときに心配をするのではなく、自分もその人たちも信じることでた
くましく生きていけるのではないかと今は考えるようにもなりました。
ただ、自分も含め、人は死ぬことがあります。
そこから目を背けている限りは、信じることは難しいと思っています。
様々な保障を求めて日々の選択がなされる昨今、あまり便利さや合理性に傾き
すぎると、人が死ぬ、という現実を受け入れられず、自己責任としてたくまし
く生きることが難しくなる気がします。
自分自身にそういった覚悟が伴っているとも思えませんが、いまはまず自分の
幸せのために行動すること、それがどこかでつながっている他の人たちの幸せ
にもなる、そう信じて祈るようにしています。
それが私にできることです。
平和な世の中を願うばかりです。