これまでごくごく限られた範囲で自分なりの学びということをしてきました。
それは学校での勉強であったり、社会生活における人間関係や仕事のことだったりします。
この歳になると義務教育を受けるわけはないので、自分の興味感心が向くものを主に学ぶわけですが、整体
の勉強会に行くようになり学ぶ際に気を付けることをある先生から教えていただきました。
書いてしまえば簡単かもしれませんが、自分がもっている知識などに結び付けて考えないことです。
整体であれば他の治療法や西洋医学的な考え方と無意識に結び付けて考えないように気を付けるようにして
います。
それはなぜか、といえば、わかった気になってしまうからです。
解釈がゆがむのです。
先生が伝えようとしていることをそのまま受け取ることが大事で、そこに自分なりのものを加えてしまう
と、途端にゆがんだり違うものになってしまいます。
そこで、最初はただひたすら話を聞きます。
そしてその中で話されていることを、その聞いた言葉で理解しようとしてみます。
わからないことだらけになります。
しかし、自分が最初からできることであれば習う必要はありません。
わからない、とわかることがまず大事で、それが現状の把握になり、問題や課題がわかり、その解決策を求
めて取り組むことで理解が深まります。
宇宙全史についても同じように考え、なるべく他の方の話は聞かない、見ないで、まずはBBSや書籍に書か
れていることを通して考えるようにしています。
大事なのは教えてくれる先生を選ぶことです。
物事をわかっている人に聞かないと、心配で伝えることをそのまま受け取るなんてできません。
さいわいにも仕事と生き方に関して、私はそういう方達に出会えていると感じているのですが、現実は混迷
の真っただ中を彷徨う毎日です。
ただ、自分の感覚として「これだ」というものがあるので、信じて続けていられます。
この「これ」と感じる価値基準は人それぞれなので、他者と共有できるものではないかもしれませんが、自
分だけの真実の探求とは、そういうもののような気がしています。
自他の生き方にそういうものを認めれば、自分の正義で人を裁いたり、自分の思うようにいかないことに腹
を立てて責任転嫁したり、人を支配しようとしたり、そういうことが減るのではないでしょうか。
統計学のような多数の共通項に標準を求める考え方のおかしさについての話を、先日聞く機会がありまし
た。
おかしいというのか、進化成長していくためには少数派がもっている可能性こそ探求していかないとダメ、
既存の多数派はすでにできあがっているものだから、そこを守るのではなく少数派こそ大事にしていかなく
てはいけない、というお話を聞き「へ~っ」と感じたのでした。
今の時代の価値基準として、自分たちの生きやすさ、豊かさをせばめている可能性があるのであれば、自分
たちを信じられないことにその原因があるのではなかろうか、と考えたりもしています。