わからないこと、というと山のようにあります。
『自由に生きる』ということを、ある方の話を聞きながら考えました。
かつての知り合いで、好き勝手に生きる道を選び、大事な人たちを残して消えていった方がいらっしゃいます。
あの方は自由だったのだろうか・・・
世の中で生きていくことの厳しさがある一方で、自分の好きなことをやっていればうまくいく、みたいな話を目にすることがあります。
人による、と言ってしまえばそれまでですが、生きる厳しさみたいなものを知らないままに「好き」を追い求めてしまうことには危うさを感じてしまいます。
わからないことが山のようにある世の中(私にはそう見えます)、そこで生きていくにあたり、自分(エゴ)が感じる自由を追い求めることは、物事を知っている方の話も聞こうとしない傲慢さになってしまったり、ただの無謀な行いにしかならないのではないか。
かつてご指導いただいていた方から
「なにか行動を起こすときは物事をわかっている人3人に話を聞きなさい。
そうすれば間違ったことはまずしないから」
と何度も言われました。
物事をわかっている人、このことがまず課題です。
それがさらに3人ともなると、日ごろの人付き合いできちんとしておかないと、そういう人との関係性すら構築されることはありません。
困った時だけ連絡を取ってくる方はけっこういますし、自分もそうでした。
しかし、学ぶということ、指導していただく、となれば、その結果や近況など時折報告し、感謝を伝えることは基本になると思います。
困った時だけ、というのは結局自分の都合でしかなく、相手を敬う態度からはほど遠いものになるのかもしれません。
自分はまだそうしたことがきちんとできないため結構困りますが、物事をわかっているかどうかの指標としてひとつそうした姿勢は考えてもいいのかもしれません。
厳しい中で生き抜いた先に、自由というものが見えてくるような気がします。
そうした知恵を私は宇宙全史で学ばせていただいています。
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