数年前のことです。
知り合いの女性と話していた時に、
「私気づいちゃったのよ!『悟り』って、本当の私と今の私との『差を取る』ってことなのよ~っ!」
と話してくれたことがありました。
さとりを知らない私にもわかりやすかったです。
昨日の台風は、目につくところでは思いのほか被害がなく済みました。
日本列島をなめるように縦断した動きや、1回だけの地震などを考えると、なにか調整や浄化の類だったような気もします。
以前、『世の中の波動が上がってきている』『人の波動が高くなってきている』という話を目にしたことがありましたが、その頃はよくわかりませんでした。
(いまもよくわかりません)
みんながみんな上がるわけではないでしょうし、今回の台風や地震がなにかの調整や波動が全体的に上がる要因だった場合、単純に考えて上がる選択をしない方は下がる体験をしていくことになります。
方向づけがより明瞭になっていく過程をいま経験している、そんな感じがしており、ある段階まで来た時にはっきり出始めるのだとすれば、目の前のこと一つ一つを丁寧に取り組んでおくことがやはり大事ではないでしょうか。
では、なにを一つ一つやるのか。
「できないこと」をできないところまでやりきることで限界を知り、謙虚さが養われます。
「できそうなこと」を見つけてやりきれば「できること」になり、自信になります。
(よほどの方でない限り、感情や感覚を伴わない経験は知識を増やすだけで、自信や謙虚さを育み養ってはくれません。)
過信でも妄信でもないその自信が、揺れ動くなかでの支えとなりありのままの自分(例えば、できること、できないこと、自分にあるもの、ないもの)を受け入れやすくしてれます。
ありのままの自分を認めることで、他者を認めることがしやすくなります。
ありのままの自分の様々な面を認め、執着しないで流していくことで、消えていく姿と思うことで、軽やかに生きやすくなります。
実体験を通しての言葉は人に伝わりやすくなり、自分に合う人たちが増えることで環境も変わります。
そして、誰のためでもない自分のために生きる上で重要な「生きがい」という方向性を見出しやすくなっていくのだと思います。
覚悟とは、これらがベースにあって初めて余計な気張りなしにできるのではないでしょうか。
今の段階で思う「平常心」とはこのようなことではないかということを書いてみました。
「差を取る」のか「広げる」のか、答えは神のみぞ知る、でしょうが、尽くす人事とは上記のようなことだと思います。