昨夜帰宅すると、息子が保育園で描いた絵を嬉しそうに見せてくれました。
どのくらい時間をかけたかわかりませんが、私だとここまで描くのに集中力がもたないような気がします。
子供のうちは楽しければ全力で遊んで、興味がわけばなんでも取り組んでみるといいと思います。
大人になるころにはそれが仕事や生活の様々な場面に切り替わり、どんなことも楽しめるようになっているといいのですが。
天職というのはそういうことの延長にあるのかもしれません。
ひとつでも夢中になれるものがあれば、それ以外の時間を過ごす支えにもなるように思います。
夢中になってやっている時、集中して取り組んでいる時、エゴはかなりうすいそうです。
なにをやるにしてもエゴを増やさなければいい、という理屈を最近教えてもらいましたが、子供のころの好奇心が赴くままに生きている姿を大人になっても持続できたなら、見える世界はまたちがってきそうですよね。
「頑張りすぎる」ことは、集中力が途切れてきたところを精神力でもたせているのかもしれないと思うと、それはそれでエゴを増やしているようにもおもいます。
怠惰でもなく、気張るでもなく、程よい加減で生きていくことがエゴを増やさず生きていくこつかもしれないと思いました。
ただ、自分の器を広げるとかたくましくなるといった課題があって取り組む場合は、加減を変える必要がありますね。