『神様にまかせきる』 五井昌久著
P.66
『自分がこうやって生きているように思うけれども、自分が一歩一歩、歩く歩みでさえも、神様がやっている。
自分が考える。考える力の原動力は神様なのだ。心臓を動かしているのも、肺臓を動かしているのも、なにもかも、神様の御力がやっているんだ。
ということを思わなければいけません。それを想いつづけるんですよ。そうすると、知らないうちに自分の想いが、神様の中に入ってゆく。だからいつも私が言っているように、神様の中に入ってゆくのです。』
先日書いたブログ(http://www.siatu-hajime.com/2015/09/14/普/)の「普」という字の持つ意味への自分なりの理解を促す文章を、上記の中に見つけました。
私の中ですっかり抜け落ちていたことが、上の「考える力の原動力は神様なのだ」です。
これによって、あまねくいきわたっているもの、隅々まで通っているものが「神様」なのだ、と腑に落ちました。
自分なりの気づきなので、一応ここに書き留めておこうと思います。
お休みの間は最近学んだことを文章にしていろいろ整理しようかと思っていたのですが、ずっと気になっていた五井先生の御本を読むことと、同じく体調を崩して保育園を休んでいた娘の相手をして、あとは体を休めたことでほぼ時間はあっという間に過ぎてしまいました。
住居の引っ越し先もとりあえずめどが付きそうです。