2か月ほど前に施術をしていて、今に集注してみよう、と考えたことがありました。
そこでまず患者さんに触れながら、その感覚に今を見出そうとしてみました。
その時フと、「あれ?これはなにか違うぞ」と思ったのです。
夜空を見上げて星を見た時、その光は今見えていたとしても、実ははるか昔にはるか彼方で発した光なのです。
意味は違いますが、そこからイメージがわいてきて、患者さんに触れて感じているのは今では過去のことなんだ、とわかったのです。
手のひらで感じ、腕を伝って脳まで神経を介して伝達される、その過程が存在する以上、例え瞬間であっても時間差が生じているため、五感覚で感じとっているものは全て過去ということになります。
つまり、何気なく過ごしている日常において今を生きていると思っていたのが、実は過去に生きていたということになるのかもしれません。
話が逸れましたが、施術で今を感じるには五感覚や相対的なものに頼ってはだめなんだと気づき、時間差の生じない私の内面の感覚に目を向けてみようと考えました。
すると、イメージとして患者さんを感覚で捉えており視覚化して感じているようでしたので、イメージの中で相対化しているものは消してみようと考えやってみました。
すると、この時はなぜかスムーズに相対的なイメージを次々と消していくことができたのです。
そして気がつくと、相対的な対象が無くなったと感じた瞬間、ニサルガの本に出てきた言葉でいう観照者でしょうか、相対的な私そのものも消えてしまっていました。
宇宙全史に書かれていた、ニサルガによって3行にまとめられてしまった認識のお話を体感したのかもしれない、そう感じました。
そして患者さんも私もあるんだけど、個としては無い、境目の無い全体性の中に溶け込んだ私や患者さんがただ一つの存在としてある、そういう感覚を瞬間でしたが体験できました。
エゴという境目が無い状態?を体験することでエゴの理解が進み、今に集注することも少しわかった気がします。
その後の体験として、まったく同じことはできていませんが、その感覚に近づくことで、揺れ動く自身のエゴを離れて見る感覚をここ数日施術中に深めることができてきました。
そこで私はエゴではない、見えているエゴや波風たてて揺れ動いているエゴは、消えていく姿として見ていればいいのだ、そう思いながら過ごしています。
すると、患者さんの身体の症状も今までとは違う改善の仕方をするような気がしてきており、自身の新たな変化にとても興味が湧いてきました。
自分の変化、成長を実感できており、非常に気分よく過ごせています。