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細かな気づき

私に限ったことではありませんが、日常的にささやかな気づきが得られることがあります。

 

その積み重ねでやや大きな気づきに至ることもあるでしょうし、自身の成長を実感する機会にもなるため、そうした機会は非常にありがたいな、と感じています。

 

 

昨日バイクで移動中、自分がエゴである、ということが理屈で少しわかりました。

 

どこまでいってもエゴは無くならない。

 

ただ、エゴの範囲が変わっていく、といえばいいのでしょうか。

 

肉体を基準にエゴを構築している段階ですから、そこから上のことはよくわかりませんが、今までとはやや異なる理解ができつつある感じです。

 

前にも書いたかもしれませんが、恥を知る、という言葉の意味も、自分のエゴに気づいている、自分が不完全である、と自覚していることだとすっきりわかった気がします。

 

 

人が生きるの目的は学びのため、そうBBSで教えていただいたことがありました。

 

魂の進化・成長のための学び。

 

常識に縛られて生きるということは、そういうことが大事であると思いこんで生きている、ということですから、別に悪いことはないと思うのですが、常識を理由に人を裁いたり否定したり自らを制限するようことがあるとすれば、成長を求めるよりは「このままでいたい」「自分は変わる気はない」「人が、環境が、周りが変わればいい」ということの現れなのかもしれません。

 

無意識にやっているそうしたことにも時々気づきつつある感じがします。

 

 

先日ある方を施術した際、これまでよりもさらに深い感覚の世界に入っていけました。

 

初めて、魂を癒す、そのことにより肉体も癒される、という経験ができそうでした。

 

できた、とは言えないのですが、その際に、白光の霊団が魂を癒している、と感じています。

 

成長を感じつつ、そのあとものすごい集注だったことがわかるくらいぐったりしてしまいました。