このところの学びの整理として、備忘録として途中までのものを残しておきます。
生きることにおいて、よりよく生きるということは、生きやすさが増す生き方をしているということ。
それは成長するということでもあり、では成長の方向性はどこに向くかと考えると、エゴを薄くして全体との調和が成される方向と考えてみればいい。
なぜそちらを成長の方向性として求めるのか。
それは元々が全体性であり、そこに部分、局所という歪みを作ったから。
宇宙は完璧であるとは、常に歪みは解消され続けているということ。
その宇宙という全体の働きが、エゴで囲い込んだ中にもあり、それを小宇宙と呼ぶのかもしれない。
小宇宙はエゴにより歪みを生じているので、その歪みを解消するために取り組むことが、カ
ルマの解消とよばれるものである。
神は万物の創造主であるということを考えると、自然は神が作ったものであり、神のエネルギーがそのまま現れているものを自然と呼んでいる。
その自然を歪めたものがエゴとしての人間であり、陰始に組する自然の一部である。
エゴの自分がより神に委ねる生き方をしようとするならば、神に近づく必要がある。
全託となれば、一致しなくては成り立たない。
どうすれば一致するか。
それは神の行い、想いを真似ること。
自分より上質な生き方を学ぶには、まずは真似ること。
神様は大常識人なので、神様を真似て、神様が考えていることまでわかるようになれば、全託により一層近づいたと言えるのではないか。
その真似を深めて隅々まで行き渡らせることで、神と一致する。
お祈りはその真似ることにあたる。
全体性という神への回帰を求めるエゴに覆われた局所の神性は、その求める感覚として故郷
への郷愁、母性への想いを拠り所としている。
以上、理解や整理ができていないことも点在していますが、読んだ方の考えるきっかけになることもある気がするため掲載しておきます。