ご回答いただけるかわかりませんが、先日の「学びの整理として」の内容を加筆修正してBBSにて質問いたしました。
前回同様、考えるきっかけにもなると思いますので、そのまま掲載いたします。
① 虚空蔵55様、みわ様
いつもご指導いただきありがとうございます。
最近、進化の方向性ということについて考えていたのですが、曖昧なところがあり考えを整理してみました。
ご指導いただけるようでしたら、よろしくお願いいたします。
私たちには選択の自由がある中で、今の地球においては大きくわけて2つの方向性があると考えています。
一つはアセンション、もう一つはディセンションです。
エゴを薄くして、より全体との調和をはかる方向性がアセンションで、より生きやすい方向性ともいえると思います。
これは地球に残る、または地球を卒業する魂だと考えています。
一方、ディセンションに関しては、より生きづらい方向性を選択しています。
この生きやすさ、生きづらさ、というのは、例えば人間が持っている能力をより多く使えるようになるか、より制限して今より少ない能力で生きていくかとも言えると思います。
アセンション、ディセンションした先のそれぞれの世界に生きる人間のDNAの稼働率がプラス数%になるかマイナス数%になるか、という考え方でもいいかもしれません。
生きることにおいて、よりよく生きるということは、生きやすさが増す生き方をしているということだと思います。
それは成長するということでもあり、では成長の方向性はどこに向くかと考えると、エゴを薄くして全体との調和が成される方向と考えています。
なぜそちらを成長の方向性として求めるのか。
それは元々が意識の世界では完璧である全体性であり、そこに思い込みなどによるエゴによって囲い込んだ部分、局所という歪みを作ったため、歪み(エゴ、カルマなど)を解消して完璧な世界を保とうとする働きがあるからです。
宇宙は完璧であるとは、常に歪みは解消され続けているということだと考えています。
その宇宙という全体の働きがエゴで囲い込んだ中にも部分としてあり、それを小宇宙と呼ぶのかもしれません。
小宇宙は大宇宙に歪みを生じた状態と考えられるので、その歪みを解消するために取り組むことが、カルマの解消とよばれるものでしょうか。
神は万物の創造主であるということを考えると、自然は神が作ったものであり、神のエネルギーがそのまま純粋に現れているものを自然と呼んでいるのだと思います。
その自然を歪めたものがエゴとしての人間であり、陰始に組する自然の一部でしょうか。
そう考えると、エゴを無くす方向性というのは、世界が完璧であるための歪みを解消する働きであり、自然なことと考えやすくなります。
普段の生活の中で出掛けたりしたとき、自然に触れるといっても違和感を感じることがありますが、森や川があるからいいわけではなく、本来の純粋な宇宙のエネルギーを何らかの形で歪められている場合は、あまりいい環境ではないと感じているのかもしれません。
これからの地球に残る生き方は、地球と調和した生き方ができるかどうかだと思うのですが、エゴの自分がより地球に委ねる生き方をしようとするならば、より自然な生き方が必要になります。
それがエゴを薄くした意識からの思い、本心に従って生きる生き方だと思います。
自然は神様のエネルギーの現れですから、より自然な生き方というのは、エゴより神様に近い生き方になっていくということになるのでしょうか。
全託となると、一致しなくては成り立ちません。
どうすれば一致するか考えてみると、神様の行い、想いをまずは真似ることだと思います。
技術の習得について考えた時、初心者や未熟な人は、より上手な人の技術を手本として技術習得に取り組みます。
よりよい生き方をされている方がいるならば、そうした方が見本になります。
できること、できそうなこと、できないこと、を知り、いまできること、できそうなことに取り組むことでできないことを減らしていくことが成長の一つのあり方だと思いますので、その取り組み方の最たるものが五井先生の世界平和の祈りだと考えるようになりました。
お祈りすることで、未熟な私が神様の想いに近づいていく、そして全託できる道筋をつけてくださっている気がいたします。
ですから、いまの自分より上質な生き方を学ぶには、まずはより良い生き方をされている方を真似ることであり、お祈りすることです。
神様は私の理解できないような範囲まで物事をよくわかっているため、人間であれば当たり前のことが当たり前にできる一番常識をわきまえた存在だとも私は考えています。
神様を手本とし、日常生活では日々目の前のことをキチンと取り組み、神様が考えていることまでわかるようになれたならば、全託により一層近づいたと言えるのではないかと思いました。
その真似を深めて隅々まで行き渡らせることで、神様と一致していく気がします。
全体性への回帰を求めるエゴに覆われた私たちの本心は、その回帰の方向性の手がかりでもある求める感覚として、故郷への郷愁、母性への想いを拠り所としているのだと思います。
ここが曖昧に感じているところでもあります。
以上、理解や整理ができていないこともありますが書かせていただきました。
現状の理解の確認をしたいという個人的な理由ですが、なにかご指導いただけることがございましたら、よろしくお願いいたします。
理解の難しさ、言葉で表現して伝える大変さを日々感じています。
わかりづらい言い回しは私の理解が足りていないゆえだと思いますのでご迷惑をおかけいたします。
よろしくお願いいたします。
② 虚空蔵55様、みわ様
先日はやや長めの文にてこちらにご質問させていただきました。
開業以来こちらを通して来て頂いた皆様とお話するにつれ、私の今の段階や理解度など、なかなか足りていないことを折に触れて実感するようになりました。
わからないなりに考えていることではありましたが、こちらは真理に照らし合わせてご指導いただける貴重な場でもありますので、未熟なりの学びを得ていきたいと改めて考え、現状の把握と課題を自覚するため、ご質問させていただきました。
自分なりにこの一年で成長させていただけた実感がある一方、こちらで教えていただけていることの難しさも実感する機会が増えた気がいたします。
こちらで教えていただけていることを大まかにでもよりはっきりと全体像がつかめれば、今よりも理解が深まるのではないかと考え、書かせていただいた次第です。
私もそうですが、いらしてくださる方たちも理解が追いつかない事が多いようですので、少しでも理解して私なりの言葉で分かりやすく伝えていけるようになれたら、と最近は考えるようになりました。
因果応報が早くなる、というお話でしたので、理解した分だけよくなる、と考えています。
関わる方に少しでもいい理解を得てもらえたら、やはり嬉しいです。
自分に限らずより多くの方が陰始に引きずられないためにも、できることの一つとして自分の理解を深めることは大事であると考えています。
以前は人に話す前提ではなかったので、わかったつもりで済ませていたことが多々あることに気づかされています。
いらしていただいた方たちになにかを伝えようとした時、細かな事柄一つ一つをわかっていないと話ができないことも実感していることです。
改めて読み返すようにいたします。
先日の質問で、なにか言葉が足りなかった気がしたため送らせでいただきました。