さきほどある方とお話していて、以前私の守護霊さんから
『実感がないのがお祈りなんだよ』
と言われたとのことでした。
ほぼ覚えておらず、「あぁ・・」という感じです。
御利益のあるお祈りはある意味危険で見返りを求められることもありますが、上記のようなお祈りだと「気がついたらよくなっていた」という感じで、自力を活かしてのよい変化は無理もなくて負荷も少なく済みます。
最近ご報告受けた方たちに共通しているのが、自分の変化よりも周りの方たちの変化です。
荒い気性の方が穏やかになってきたり、家族の間柄がよくなっていたり、自分に関わる身の回りでのそうした変化に気づかれたようでした。
一緒に居る方が落ち込んでいたりイライラしているだけでこちらもなんだかすっきりしませんが、逆もしかり、こちらがぶれていると周りの人もすっきりしません。
だとすると、自分が変われば周りも少なからず変わるわけで、自分の取り組みが及ぼす範囲が自分であると考えてみると、自分のやったことはきちんと結果が出ていると考えられるのではないでしょうか。
なかなか変わらない、と焦ってしまう前に周りを一度見渡してみるといいかもしれません。
人によって違うことばかりなので、ひとくくりでこうですよ、とは言えませんが、やはり目に見えた実感というものがあれば、気分が違いますから、一つ視点を変えたり視野を広げることで生きやすくなるかもしれないと思ってもらえたらいいのではないでしょうか。
余談ですが、私が最近いただいた課題です。
勝手な理想像をつくりあげ、それを例えば着ぐるみのように関係ない人に被せてしまい、中の人を無視してその着ぐるみの印象通りにいかないことに対して腹を立て続ける。
その理想像と中身は別物です。
そもそもその理想像は実現可能なのか?
前提として考えていることは本当に信じていいものなのか?
男性とは、女性とは、父とは、母とは、その価値観はあなたの考えでしょうか?
それにそぐわないことに腹を立てる理由は?
エゴの理解に深くかかわる内容だと思います。
理解が進めば、必要な方にお話できるかと思います。