真理や真実とよばれるものは、全体性の働きを言葉にしたものだと考えています。
自分の発する言葉や行動がエゴ主体なのかどうか、それはそうした全体性の働きと照らし合わせて考えていくと、矛盾や無理が見えてくるため考えやすいのではないでしょうか。
「もっともらしいことを言っているけれど、ここは理屈に合わせて考えてみると矛盾しているよね」
とか、
「ここはちょっと考え方に無理があるんじゃないかな」
ということを少しずつ検証していくと、段階を経て巧妙なエゴにも気づきやすくなっていくのだと、体験的に感じています。
以前、ある方からとある提案がされたことがあったのですが、間髪入れずに
「いただいておきなさい」
と一言ありました。
神様のふりして偉そうにのたまうエゴの言葉を感じた時には、思わず笑ってしまいました。
また違う機会ですが、ぼーっと考えていた時に大げさな物言いで言葉が浮かんできたことがありました。
しかし、なにか違和感を感じ
「お前、エゴだろ」
と問いかけると、お茶目に
「ばれたか」
と返してきます。
これらは断片ですが、それでもエゴというものが分かってくると好き勝手にはさせないで済むようになり、例えるならば野生馬に鐙(あぶみ)や轡(くつわ)をつけて徐々に乗りやすくしていく、そんな感じです。
以前はエゴを薄くして無くしていく、と考えていました。
しかし今は、「エゴを無くすということはできない」ということを教えられ、それを前提に取り組んでいます。
馬の例えならば、自分が正しくてそれ以外は間違っている、自分が扱えないものは間違っている、消してしまえ、ということになりかねません。
エゴを否定する必要はない、と教えていただきましたので、もっとエゴについて知らないと話になりませんが、そういう考え方で勉強させていただいています。
まだ途中段階なため、勘違いや理解できずに悩んでいることもある粗い文章です。
しかし、他人のエゴは目に入りやすいですから、そうしたことも見てもらった方が考える足掛かりになるとおもっています。
少しでもレベルを上げたい、変わりたい、そう考えている方は、今の内に頑張ってほしいです。
書いている内容はくだらないことも多いのですが、ここを見ていただくことでその方が1%でも変わるならば・・・、そう願い書いています。
私の実感でもありますが、レベルが上がれば上がっただけ、見えてくるものが変わります。
以前のブログとダブる内容もありますが、いま感じていることを書いてみました。
読んでくださり、ありがとうございます。