自分の限界までやった時に顔を出す「エゴの不完全さ」がある。
「もう無理」「これ以上はできない」など。
しかし、「滅びたい」という全体性を損なうエゴと異なり、自分の限界までやる生き方は真剣に生き、やるべきことをやって全体性を損なわない「命を活かす生き方」をしているため、全体性を向いている。
方向性が全体性を向いていれば、成長しながらいつかは全体性に繋がっていくことができる。
一方「全体性を損なう方向性」だと、閉塞感が強くなり、生きづらい感じが強くなる。
ともすると限界で姿を現すそうした自己否定を、見守る存在たちは全体性の働きとして包み込み、限界を超えた先を示すことで「損なう方向性」を「損なわない方向性」に転換するように促しているのではないか。
そして感謝の気持ちで全体性に身を任せることができるようにしてくれるのではないか。
見守る存在の優しさ、フォロー、全托とは、そういうものではないかと思います。