方向性を出す、ということについて、ここ最近続けて描いた息子の絵を借りて例えてみます。
左に描かれているのは、ご覧のように「鳳凰」ですが(・・・わかりませんよね)、
これを描いた時は何も見ずにイメージだけで描き上げています。
次に右の絵ですが、今度は見本を見ながら描き上げたものになります。
日数的には数日しか違わず、手も貸していません。
違いは見本があるかないか。
違いがわかっていただけるでしょうか。
言葉や想いには力があるので、曖昧に考えれば曖昧な結果がでますし、正しくすればきちんとしたものになり、否定的な言葉であれば否定的な結果が生じてきます。
どういう方向性なのか、何を大事にどう生きていくのか、そうしたものがしっかりしてくると、別巻に書かれていたような「自分が無い」ということも減り、フォローもよりしっかりしてきます。
お祈りの文言や実践もまた、一つの方向性をはっきりさせるものだと思います。
五井先生がなにを考えているのか知ろうとすることも、上の絵のように見本をしっかり観察することと似ています。
なにかヒントにでもなればと思います。