思い通りにならないことを不自由という。
思い通りになることを自由という。
思い通りになって自由を感じられたら、幸せ。
思い通りにならず不自由を感じていたら、不幸せ。
人の意欲を奪うことは、不自由にさせること。
「滅ぼしたい」という思いは、人の不幸を喜ぶ。
陰始度とは、人の不幸を喜ぶ思い。
本人の主体性を奪って、自分の都合で人を操作しようとすることは、本人のやりたいようにさせないことで自由を奪っている。
不幸を願っている。
親が子供の将来を勝手に心配して、先回りして口を挟み、善意を押し付け、勝手に安心する。
子供の幸せを願っている、そう思うかもしれないけれど、実は不幸を願っているのかもしれない。
子供がいうことをきく姿を見て喜ぶ親は、子供の不幸を喜んでいるのかもしれない。
子供はある時、親に干渉されないところで、主体性を取り戻そうとする。
親が嫌うことを通して。
「もう僕の、私の、自由を奪おうとしないで!」
そういう思いが、その行動にあらわれているのかもしれない。
自画自賛のような過剰な自己肯定も、これでいい、このままでいい、にすりかえられていき安心してあぐらをかいてしまうため、向上心のような意欲が損なわれている。
しかし、安心しているためそのために気づいていないこともある。