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意欲が削がれるのは誰のせい?

 

昨日はエネルギーを奪う、という事について書きましたが、その補足のような内容です。

 

意欲を削がれたと感じた場合、意欲を削がれたのは相手のせいと一方的に考えがちです。

 

しかし、強い気持ちで諦めなければ、そうならないことも選べます。

 

つまり、意欲は自分次第ということです。

 

誰かのせいではないのです。

 

こちらが思うようにいかない事に対して腹を立てたり傷ついたり、ということは、自分の責任を誰かに押し付けたり、あきらめてしまったとも考えられ、幼い、弱い、ための依存といえるかもしれません。

 

意欲は「自分がそうしたいから」ということで保てるようになると、それは自立できているといえます。

 

依存していると気づけた場合、そのことを認めることが大事です。

 

昨日も書きましたが、こちらが思うようにいかなくて意欲が衰えた時、他人の不幸を喜ぶ人は、その姿を見て思ったようになっていくので意欲が高まる。

 

この場合は確かにエネルギーが動いていますが、上記のように考えれば、お金を奪うような感じでエネルギーが奪われるイメージとは異なる印象をいだけると思います。

 

 

 

個別にみれば、意欲を失った人がいて、意欲が高まった人がいる、ということですし、全体性という一つの働きの中で考えたなら、誰かが意欲を損なえば、減った分だけほしがる人のところに流れる、という理屈です。

 

意欲を損なわなければ、ほしがる人のところにも流れません。

 

平常心を保ち、強い気持ちであきらめず、自分の思うように生きていく、そうしたことができれば、奪われるという発想も薄らいでいくのではないでしょうか。

 

似たような内容ですが、理解につながることを願います。