以前宇宙全史のBBSで子供を産むことでエネルギーを損なうお話がありましたが、あれも「人の不幸を喜ぶ気持ち」ということから考えてみるとわかることがあると思います。
子供は今ある環境で精一杯たのしみ、意欲にも満ち溢れています。
しかし、自分のことしか考えない歪んだ価値観を持った大人がいたとすると、その子供の姿を見ても、昨日のブログに書いた理屈で、意欲を勝手に損なうことがあると考えられます。
このように、「子供が生まれたから」ではなく、そもそもの考え方がおかしいことが少なくないのではないでしょうか。
また、理想をかかげて生きることもいいのですが、エゴの不完全さを理解し、完璧には成し得ないことを知ったなら、今ある中でベストを尽くすことが命を大事に活かすこととわかってきます。
子供のせいで思うように生きられなくなった、と責任転嫁していても、自分の成長にはなんら寄与せず、意欲も損なったままです。
子供と共に生きる、という選択を一番大事にするなら、お互いが気分よく生きられるよう共に生きる環境の中で最善を考えて行動に移していけばいいだけです。(※1)
自分の時間軸の中では、一度に考えられることは一つだけ、行動できることも一つだけです。
相手が嫌がっても自分のやりたいことを優先する、というのは、一緒に生きていく、という選択を疎かにするということであり、それ(※1)を選ばない、ということを表明していることになります。
自分だけの理想に入り込むのではなく、共に生きる上での理想を自分の一番大事なこととして考えるなら、「子供にエネルギーを奪われた」ということにはならないのではないでしょうか。
こうしたことをよく考えずに気にすると、「子供を作らないほうがいいのか」「子供できたから自分は思うように生きられていないんじゃないか」などと考えかねません。
「共に生きる」、「互いの幸せを素直に思える」、そういう考え方・エゴをお持ちなら、子供から元気をもらい、励みにし、意欲をもって生きることもできるはずです。
もし、人の不幸を喜んでいることに気づいたとしたら、
「ああ、自分はよりよく生きるという方向性でいるから、この考え方はそぐわないよね。だから、一度に考えられることは一つだけなんだから、考え直して素直に人の幸せを喜ぶようにしよう。」
と考え直せばいいだけです。
これが、考え方を変える、思い込みを修正する、エゴを薄くする、全体性を損なっているものを正していく、ということであり、以前も書きましたがこれが「第二の易行道」と私の神様に教えられました。
誰かのせいではなく、自分の中の歪んだ考え方に目を向けることが、自分に向き合うことです。
その歪みは、全体性の働きを損なっているものであり、全体性という大きな視点から観察することで見つけやすくなります。
真理や真実、道理に理屈、いろいろありますが、どれも全体性の中でその働きを損なわずまっとうに機能しているものであり、そうしたものと自分のエゴを照らし合わせてみることで歪みに気づき変えていくことが出来るようになります。
宇宙全史に限らず「学ぶ」ということは、そうした全体性のきちんとした働きを理解する取り組みであり、その学びを活かして自身のゆがみを正して生きていくことが、やることをやっている、ということになります。
一度にできるものではありませんので、少しずつでも取り組んでいくといいと思います。