回りくどく書いていますが、結局のところ何が言いたいかといえば、「お祈りしかありません」という言いまわしに対する、読み手側の解釈が気になっている、ということです。
読み手側が他の選択肢を否定するような解釈をしてしまうと、その後の取り組みがおかしくなります。
「お祈りが選択肢の中では一番いいと思います」という意味で解釈すると、他の良さにも目を向ける余地ができますし、なにより否定が入りません。
全肯定でありとあらゆるものが全部ある、ということを理解しようとするなら、いろんないいものもあるよね、という考え方でいないとそうはなっていきません。
「他の選択肢は話にならん」という感じで一点集中のように受け取ると、他の事には目もくれず、これ以外は価値無し、ということで、より良いものを探そうとしなくなります。
一心不乱、夢中、没頭、エゴが働かないような取り組みはどれでもいいと思うのですが、取り組み方として他を否定したり、これだけが正しい、他は意味がない、というような存在を否定するような解釈をしていると、思っているところとは違う方向に向かっちゃうよ、という懸念ですね。
みんなエゴなんだから、どんぐりの背比べで大して違わないのに、「この良さがわからない奴はだめだ」、「私の方がはるかに上で他の連中はレベルが低い」、と勝手な理屈で人を上から見下して裁いてしまい、それが態度に表れて、他者との関係がぎくしゃくしてしまって日常生活がおかしくなったのでは、話になりません。
鵜呑みがいけない、ということも、そういう理由からです。
考えなくなると、自分で判断しなくなります。
自分を生きていないことになります。
それってどうなのよ、ということです。
「続き」で雰囲気が変わりましたが、そういうことです。