『宇宙全史1』のP.84
「愛の概念が捻じ曲げられていた」
「だからあなたを呼んだ」
「ただすこと」
これに関して、最近ブログで書いてきたこととの繋がりを昨夜感じ、そこから整理していました。
きっかけについては具体的に書きませんが、五井先生の思いを感じた気がしたことで、今回考えるようになりました。
結論から書くと、「自由」を捻じ曲げられていた、ということになるようです。
この理由については、ざっと書いておきます。
なにかにすがってしまえば、考えることを止めてしまいます。
判断しなくなれば、自由がないということになります。
人は命であり、命は愛、といえます。
なくならないこと、永遠の生命を生き続けること、それらは愛です。
自分を生きることは、自分で判断することです。
判断するということは、自由があるからです。
ですから、命や愛など、それらは自由をベースにしています。
考えなくなってしまうことで自由がないと、自分を生きているとは言わない状態です。
自分で判断することにより、よりよい方向を目指せるので、依存することで判断できない、考えられない、というのは、良くなる方向性(意識の進化を目指す)を出していないということになります。
「自分の自由に生きる」、これまでこのことが誤った思い込みにより出来なくなっていたので、これからは「自分の好きなように自分で決められるほうがいいよね」と、考えられるようになるといい、ということです。
「自由に生きること」、このことを理解できるようになることが、「ただすこと」になります。
五井先生のお祈りの意味もわかってできれば、しっかりフォローをしてくれるはずです。
「神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。」
「上位意識を使わない限り正解は見えてこない。」
「どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。」
「五井先生の真意を今生きている人はだれもわかっていないと思う。わかりかけの人は少しずつふえてきてはいるが。」