自分の過去の傾向として、事なかれ主義で生きてきた「つもり」です。
問題が極力おきないように、控えて、我慢して、言い訳して、静かに、穏やかに、優しく、嫌われないで、良い人と思われるように、という生き方で、それなりに生きてこれたのではないかと思っていました。
しかし、いろいろ物事がいぜんよりわかるようになると、
・方向性をだす
・「どれが正しいか自分で判断しないと自分を生きてるとはいわない」
といったことだけで考えてみても、できていないことがわかってきます。
経験が伴って初めて理解でき、力になることを思うと、なにもしないで問題なく生きられている、というのは、文字通りなにもしていないだけですね。
自分を生きるということを行動に移していく中で、問題なく生きられるようになっていくこと、このことを学んでいる最中です。
でもそれは、以前は無意識に漠然と感じていたであろう自分の空虚感が満たされながら生きられているため、嫌な感じではありません。
上位意識との繋がりのなかで生きていくことを、このように感じているのだと思います。
以前の事なかれ主義のころとは異なり、正道や王道というものを生きる中で、問題なく生きられるよう、今は取り組んでいます。
メモ
「神はなにも否定していない」
「八百万の神は全肯定をあらわしている。日本が世界のさきがけといわれる由縁」