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その九

今回は少し話の流れがちがうかもしれませんが、関係があることなので、「その~」シリーズの流れの中で掲載しておきます。

 

(短くまとめたものに書き足したところ、かえって長くなりました。読みづらかったら、すいません。)

 

 

 

 

 

まず質問ですが、完璧に正しい人や物事を見たことがあるでしょうか?

 

 

 

そして、あなたの判断が絶対正しいと言えるでしょうか。

 

 

 

 

 

エゴの事がわかってくると、それはおかしい、ということがわかってきます。

 

 

 

 

 

覚醒したとしても、エゴは残ります。

 

 

 

エゴが残っているということは、思い込みが残っているということであるため、覚醒したとしても完璧ではないのです。

 

(逆をいえば、その思い込みの度合いによって、覚醒の段階も変わってきます。)

 

 

 

私たちは、まだ完璧を知りません。

 

 

 

ですから、こっちが絶対正しい、あっちが絶対間違っている、という判断を、まだ覚醒すらしていない低い段階の私たちでは、することが出来ないのです。

 

 

 

 

 

しかし、より正しい、より間違いが少ない、そういった判断はできます。

 

 

 

私たちが信じて「より間違いのないもの」は、エゴの判断で話す内容よりは真理や正しい理屈であり、それをキチンと話せる人を通して、そのことを学ぶことで、歪みを減らしていくことができます。

 

 

 

同情というのは、真理や道理よりもエゴの価値観を優先することですが、「誰を」信じるというのは、同情にあたります。

 

 

 

その人の正しい理屈を信じるのであれば大丈夫ですが、「誰」を信じすぎて、その「誰」が間違ったことを言いだしたときに気づかないと、同情に引きずられていきます。

 

 

 

みなさんはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

私を信じるとか疑うというのは、みなさん自由があるので好きにやっていただいて構いません。

 

 

 

 

現在、私はエゴ主体で生きている状態ですので、そのレベルに応じた内容で発言したりブログを書いたりしています。

 

 

 

間違えることは普通にありますし、最終的なゴールに到達しない限りは、いつでも転落する可能性もあります。

 

 

 

ですので、大事なことや正しいことが少しでも自分で判断できるように、学びを深めてください。

 

 

 

そこがわからないと、大事な局面で判断を誤ることになります。

 

 

 

今回はかなり重要な局面だと感じているのですが、エゴのチェックをして、憑依されているかどうか考えてみるといいと思います。

 

 

 

判断がつかない方は非常に困ると思うのですが、力をつける機会にもなりますので、簡単にあきらめずに自分なりの答えを出すようにしてください。

 

 

 

 

 

エゴの特性として、影響を受けやすい、ということがあります。

 

 

 

どんな影響を私が受けているのか考えるには、直接お話をするか、私のブログを読んで考えることになると思います。

 

 

 

ブログには、すっごいいいことがけっこう書いてあると思うんですけどね。

 

 

 

間違ったことやおかしなことがはっきりわかれば、考える皆さんも苦労しないと思うのですが、果たしてどうでしょうか。

 

 

 

 

 

判断できる力を磨くうえでとても大事な取り組みは、何度も書いてきたように、エゴのチェックです。

 

 

 

自分の発言も人の発言も、よく考えることでエゴの歪みに気づきやすくなっていきます。

 

 

 

エゴの歪みに気づけると、どの程度のカルマが返ってくるかがわかるようになってきますし、それを少しでも自覚できていれば、平常心を保って対処することもできます。

 

 

 

ただし、そうはいっても私たちはエゴという不完全な状態なので、カルマの具体的な内容や細かな点までは、まずわかりません。

 

 

 

 

 

人を信じてもいいのですが、出す方向性が「今をよりよく」であるなら、正しい道理で話ができる人を信じるといいでしょう。

 

 

 

そのうえで、見えない世界の話を聞いた時、そのことも理屈で正しいかどうか考えられるようになっていきます。

 

 

 

順序が変わると、そうはいきません。

 

 

 

 

 

ひろかねさんに関して、今でこそ艮の金神や宇宙のトップという話が出ていますが、最初からそういう話ではありませんでしたし、むしろ、ひろかねさんからそういうことを自己主張する形で聞くこともありませんでした。

 

 

 

私に対しては、実生活のなかで地道にしっかり生きてきた経験に基づいたお話を、なんどもなんども懇切丁寧にしてくださったのです。

 

 

 

妻のカルマの解消も実際にしていただいたことがあり、説明を聞いてその当たり前の理屈に驚く一方、妻はそこから大きく変っていったのが実感できたので、結果をしっかりだせる考え方である納得できました。

 

 

 

教えてくださることは実生活でキチンと使える内容ですし、難しい理屈や五井先生のお祈りの意味など、子供でも分かるのではないかと思えるくらい、わかりやすく簡単な言葉で話してくれたこともあります。

 

 

 

 

 

BBSでの書き込みは、そのあまりにシンプル過ぎる表現の連続に、理解が追い付いていないだけの方が相当数といいますか、全員の方が気づいていないのではないかと思います。

 

 

 

あそこに書かれているものは、エゴをあぶりだして立ち位置を明確にするための内容と、皆さんの進化成長に欠かせない真理や道理、この二つで主に書かれています。

 

 

 

あの時に結果として、全肯定と全否定に方向性がわかれ、今回それがさらにはっきりしたことになります。

 

 

 

私は五井先生のことが好きですし、全肯定を目指していきたいと思いますので、これからもその内容をお伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

ひろかねさんの書いた内容の意味に気付けば、気づいた方はおそらく真っ先にうちに来て、その内容をご自身の口で語り質問もしてくると思うのですが、実際はそうした方はいらっしゃらず、こちらから説明をすることで、徐々に納得してくださった方が多いです。

 

 

 

私も足りないところがありますし、聞く側の自由がまずはありますので、もちろんそういう方ばかりではありません。

 

 

  

それでも、思い込みをおさえ、冷静に話を聞いてくださった方も多数いらっしゃいましたので、そういった方たちがよりよく成長なさっていき、それぞれに納得のいく結果がでるといいですね。

 

 

 

 

 

ひろかねさんは、つよくしんをもった生き方で負荷の多い人生を送ってきた方なので、いろんな人に幅広く対応できる能力の高さがある方だと思います。

 

 

 

ですので、通常私たちであれば苦手意識を持つような強い意思表示で相手の態度をはっきりさせるやりとりも、ためらうことなくできてしまう方です。

 

 

 

話を直接された方は、質問に対するその明快な答えに、皆さん納得されているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

特別視を刺激するかのような一連の内容の大半は、私の神さまとの確認する話からわかったことで、徐々に明らかになっていった経緯があります。

 

 

 

ですので、私はひろかねさんの話を信じられるのですが、過去のブログをよく理解しないまま、今回の一連のお話を初めて見た方がいた場合、よくわからなくなることもわかります。

 

 

 

 

 

しかし、わかっているのになぜ書くかといえば、こうした特別視をあおるかのような内容を書き続けていることにはきちんと意味があり、エゴの誇示ではなく、上位の神さまの計画を早く現象化させるために働きかけていることなのです。

 

 

 

特別視しそうなことに惑わされず、冷静に大事なことを見極められたなら、ぶれることなく自分のやるべきことにすぐに立ち返ることが出来ますし、思い込みがあることで判断がつかず惑わされてしまえば、腹を立てたり悲しんだり、ひどい場合には憎しみをもって新たな道筋に足を踏み入れていくことになります。

 

 

 

そうしたこと一つ一つがそれぞれの方向に進むことで、立ち位置や方向性がはっきりするため、なにもしないで流れに任せるだけよりは、はるかに早く振り分けが進みます。

 

 

 

 

 

現状、皆さんそれぞれの方向性を表明しだしているため、態度がはっきりしてきた分、振り分けも大きく動き出しているようです。

 

 

 

方向性がそれぞれまったく違う流れになったことで、今後はそれぞれに起こる事象もはっきりしてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

自分で判断ができないうちは、そのことを素直に認めることです。

 

 

 

しかし、判断ができないにもかかわらず、できる気になるのが私たちエゴの特徴です。

 

 

 

その特徴が、今回のような時に致命的な結果をもたらす可能性があるため、今回はそのことを書いておこうと思いました。

 

 

 

まとめていたらかなり長くなったので、次回に続きます。