BBSのその後の方向性を決定的にしたことですので、真理を曲げる意味について書いておきます。
神といっても様々な段階がありますが、月読の大神ほどの神様となると、真理をつかさどる存在ですので、歪みの多いエゴがそうした存在の決めたことを勝手に覆すようなことをすると、真理を曲げたことになります。
ひろかねさんの発言に対してもそうでしたが、体験した人の言葉を体験していない人が否定することはできません。
なぜなら、「正しいこと」を「間違っている」ということになるからです。
ひろかねさんに限らず、エゴで生きている人が実存を見るような高い覚醒体験をすることは、人類の意識進化を目指すうえで非常に貴重なことです。
誰も到達していない道を切り開いたわけですから、意識の進化を純粋に求める方であれば、きちんと話を聞きたいと思うのが本来の姿勢ではないでしょうか。
ひろかねさんはBBSでこのように書いていました。
『体験した人の言葉には力があり真実がある。
その人の言葉を信じられたなら信じた人も力と真実に近づくことができる。』
そこを確認もせず、一方的に間違っていると判断してあのように回答したことは、求道者の取り組みとして偏りを感じます。
思い込みで生きている私たちは、エゴが考える狭く偏った考え方にはまり込み、そこから抜け出せずに一生を終えていくことがほとんどです。
なにが正しいかを明確に知ることができるとしたら、幸せを求める者にとっては、これ以上ないくらい貴重なものとなるはずです。
そうした貴重なものを歪めて信じてしまうと、信じた人が気づかない限り、正しい結果を出せなくなります。
生きづらくすることがカルマを積むことですので、影響力のある立場で間違ったことを伝えてしまうと、それをみんなが信じて実行してしまった時に、非常に大きなカルマを積むのです。
宇宙を歪める方向でやったことですから、宇宙に対してちっぽけな存在であるエゴにそれがカルマとして返ってきたら、ひとたまりもありません。
冒頭でも書いたように、真理をつかさどる存在に下位意識がたてつくような行為も同様です。
真理を曲げるということは、絶対やってはいけないことなのです。
また、そうした行為に安易に賛同することがなにを意味するのか、わかっていないと思わぬところで自らの運命を思わぬ方向に決定づけてしまうこともあるので、ここはよく理解していただくといいと思います。