すこし前に更新した右のNo.3475の回答だけではありませんが、非公開情報の権利取得に関して、月読の大神に確認を取ったかどうかの確認が書かれていないことがあります。
確認をとった風な書き方をしているところもありますが、明確には書かれていないことがほとんどではないでしょうか。
上位意識の判断を端折って書くことは、できる立場にないと思います。
端折って書くということは、相手をおろそかにしていたり、慢心によって自惚れている可能性があります。
例えば、社長の決定事項を部下がなにも説明しないで発表するようなことを、会社組織ではやらないでしょう。
非公開情報のA~Eのランク分けは、実際のところ、その根拠がはっきりしません。
個々に振り分けはなされていますが、ワーク全体の方向性としてそれぞれの意識レベルを上げる目的があるなら、学びの場でもあることですし、明確な基準に照らし合わせて、都度その理由を書くべきです。
なぜなら、理由がはっきりしないことで、エゴ勝手な判断で自分に都合よく考えてしまうからです。
よくわからない規準のもと、このシステムのいったいどこに学びがあるのでしょうか。
私から見ると、非公開情報のカテゴリー分けは、エゴの歪みを助長しています。
エゴである以上は、私たちは他の人とあまり差はない「どんぐりの背比べ」です。
自分を特別視しないためにも、こういう意識は大事です。
また、「他の人にできるなら、考えてあきらめずに取りくめば、自分もできるかもしれない」と、他者に対する特別視を減らして、自分の可能性を広げていくためにも、大事なことです。
意識レベルを上げるというのは、生きやすくなる、ということです。
情報を丁寧に見て考えていくことで、判断できることがあります。
エゴによる歪みの刷り込みは、正論を書いたあと、それを信じて油断した頃に忍ばせてきます。
書き手には自覚がないため、読み手は「だれ」ではなく「なに」に注意して見ていないと、まちがったことをそのまま信じ込んでしまいます。
エゴのチェックでは、そういうところにも気を付けます。
非公開情報は、一生かけて一つみつけられるかどうかの秘儀、みたいな話も以前載っていた気がします。
私の実感として、ひろかねさんから教わった内容は、非公開情報で書かれている内容と時に重なることもありますし、より具体的です。
実際に役立てられて情報は意味があります。
わかったつもりでは、役にたちません。
施術の際には役に立つ話をしていますので、興味のある方は是非一度お越しください。