「存在の有無」という考え方でいうと、全肯定は「有」で、全否定は「無」に通じるものです。
ニサルガのお話に、「私は誰か」の答えとして、「あれではない」「これではない」という回答が書かれていますが、全肯定の考え方からすると、これらは肯定的な回答です。
「あれ」という対象物を認めた上で、「あれと自分は違う」と差異を認めているだけだからです。
全否定であれば存在を認めていないため、回答はまた違うものになるでしょう。
差異を認めることが、存在を肯定したうえでなされています。
ですので、タイトルも「私は在る」です。
「私は無い」ではありません。
このことは、先日の共有の心さんからのご質問の回答にもなるのですが、他者との関わりの中で
「そういう考え方がある」
と認めるだけで肯定になり、
「でも自分は違う考え方だよ」
と自分の考えも肯定することで全肯定に向かっていきます。
地域や時代によって言葉の解釈やニュアンスは少しずつ異なりますし、翻訳されるとさらに複雑になります。
10人で伝言ゲームをすると、3人目ですでに言葉が大きく変わってしまうことがある、というお話をしてくださった方が患者さんでいましたが、そうしたことも含めて考えると、情報を丁寧に読み解く必要性を改めて感じます。
いつも朝から昼過ぎまでは往療に出ているのですが、今日は天気もよく、久しぶりに多摩川の土手に腰かけてひと休みしました。
すると、座っている横で動ているものを見つけ、それが写真のクワガタでした。
季節の感覚がずれてますね。