箸休め的な・・・ ここ数日、あるがまま、という言葉を頻繁に考えていたせいか、 「あるがまま・・・なすがまま・・・、ナスがママなら、キュウリはパパよ」 という、学生時代の同級生のどうでもいいダジャレを思い出しました。 写真は「ネギ」で、特に関係ありません。...
思い通りにならないことを不自由という。 思い通りになることを自由という。 思い通りになって自由を感じられたら、幸せ。 思い通りにならず不自由を感じていたら、不幸せ。 人の意欲を奪うことは、不自由にさせること。 「滅ぼしたい」という思いは、人の不幸を喜ぶ。 陰始度とは、人の不幸を喜ぶ思い。...
「意欲」を「エネルギー」と考えてみる。 エネルギーを奪う、とは、意欲を奪うということ。 思い通り生きられたら意欲がわくし、意欲がわけば、よりよく生きるという方向性をだしやすくなる。 意欲を損なうと、生きる意欲が損なわれる。 それは大きく捉えて、死に向かう。...
陰始はこれからの時代に生き残る方向性とは対極にある。 「滅びたい」「滅ぼしたい」という方向性。 卑弥呼の章に、最後に残る魂は消滅しない、と書かれていた。 しかし、食われた魂もおそらく食った魂の中で集合魂のように何らかの形で残り続ける。 消滅しないなら、永遠に生き続けるなら、気分悪くあるよりは、気分よく生き続けたほうがいい。...
まず、全体性に気づくこと。 次に、その中にあるエゴに気づくこと。 エゴは全体性を「しっかり」意識しないときちんと見えてこない。 損なわれた全体性の働きを取り戻すために、カルマを解消し、エゴを薄くしていく。 全体性が損なわれなくなると、それがありのままであり、天命に沿って生きられるようにもなる。...
「エゴの扱うエネルギーは意欲」と考えてみる。 気分がいい、になれば意欲がわく。 意欲がわく、ということは、モチベーション、動機、根拠がある。 それが自身の行動やその結果にあるか、他者のもたらすなにかにあるか、ということ。 他者がもたらすもの、ということは、自分が結果のためになにかをする必要はない。 だから楽をしている、といえる。...
以下、思ったことです。 私もばっちりエゴを抱えて生きているので、間違えることも当然あります。 鵜呑みにしないで、考えるたたき台にしてお読みください。 一部内容が混乱をまねくかもしれませんが、掲載しておきます。 「ありのまま」は「全体性としての私」の方向性の基点だから、ここにたどりつければいい。...
例えば、誰かを特別視しているとする。 特別であることを持ち込むことで、力関係で考えるようになってしまう。 これは上下関係を持ち込むことでもあり、下につくことになってしまうため、エネルギーをとられる立場を自分で作り出してしまうことになる。...
人はこの世界でエゴを抱えて生きている。 エゴを抱えているということは、不完全であるということ。 不完全だから完全な状態を目指している。 それが大きな方向性。 それでも、どこを目指すかは人それぞれ自由のはず。 それを否定することは、自由を認めていないことになる。 自由を認める、とは、否定をしない、ということでもある。...
昨日とタイトルが似ていますが、補足のような内容になります。 方向性を出して日々過ごすようになると、保ち続けることの大変さに気づきます。 その時に大事になるのは(軌道修正などもそうですが)、「あきらめない」ことと、「強い意志をもって取り組み続ける」こと。...